「なぁ、弓塚って演劇に興味あったりする?」
自分でも唐突だな、と思う。
「えっ? いきなりどうしたの遠野君」
当然彼女も動揺した。弓塚はついさっきまで自分を忘れたかのようにぱっと表情を変えた。
「シエル先輩に頼まれたんだ。毎年文化祭でやってる劇、知ってる? それの助っ人を探してるんだ」
「そうなんだ……。助っ人って、もしかして部員いないの?」
「いるにはいるんだけど全員が裏方らしくてさ、役者やってた人はもう引退したらしくて」
俺はため息まじりに応えた。やっぱりこう考えると無茶な頼みを引き受けたような……。
「で、今は一人でも多くやってくれる人を集めたいんだ。弓塚は……役者とかやってみたいとかそういうのある?」
「う〜ん、劇なんて小学校以来だからなぁ…………」
困惑気味の弓塚は首を傾げてしばし黙考した。と、
「遠野君は出るの?」
「え? 俺?」
思わぬ問いに今度は俺が思案せざるを得なくなった。
シエル先輩の事だ、やはり俺もステージの上に立つ事になるのだろうか。
………………というか絶対立つんだろうな。先輩なら強引にでも役に入れそうだ。
「……出ると思うよ」
俺はステージ上での自分の大根役者ぶりを想像してやや意気消沈しながら言った。
「そっか…………じゃあ私も協力しようかな」
「え? 本当?」
「うん。遠野君が困ってるんだもん」
「ありがとう弓塚。恩に着るよ」
俺はその後も何度も何度も弓塚に礼の言葉を言った。
別れ際に「本当、遠野君って何にも気づいてくれないんだね」と言われ、
俺はまたもや彼女の機嫌を損ねてしまったのかと不安になったが、
そう言う弓塚の顔は紛れも無く笑っていたので、俺はとりあえず安心して屋敷へと足を運んだ。
* * *
「お帰りなさいませ、志貴様」
「ただいま翡翠。今日も出迎え悪いな」
「いえ、志貴様のお見送りとお出迎えが私の仕事ですので」
玄関先で相変わらずといったいつもの会話をこなす。
「あら志貴さん、今帰ってきたところですかー?」
「あ、琥珀さん。ただいまです」
「はい、お帰りなさいませ」
屋敷の奥からからパタパタとやってくる割烹着姿の琥珀さんが笑顔で翡翠の隣に立つ。
「志貴様、お風呂の準備ができていますがいかがなさいますか?」
「そうだな……すぐ入ろうかな」
「今から急いで夕食の支度をするんでゆっくり入ってきてください、志貴さん」
「ん、じゃあそうさせてもらうよ」
俺は二人に見送られて一旦自分の部屋へと入浴の準備をしようとした時背後から、
「あら、私には何もなしにどこへ行くんですか、兄さん?」
「………………秋葉」
突然背中から嫌な汗が噴き出てくる。
マテマテマテマテ。
ダメダ、ニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロニゲロ。
いや、なぜ逃げる必要がある。目の前で長く美しい髪の先が紅くなりかけている彼女は
正真正銘自分の妹であるというのに一体何の恐怖があるというのだろうか。
「兄さんには私との関係を今一度再確認してもらう機会があるようですね……」
だから何故そこで髪を真っ赤にする必要があるのだマイシスター。
「いや、その……何だ、秋葉。いつからいたんだ?」
「琥珀の後ろにずっといましたが、他の所に別の私がいましたか?」
「あ…………そ、そうだったんだ」
ちょ、琥珀さん。翡翠までフェードアウトしないでお願い戻ってきてプリーズ!
「に・い・さ・ん」
「はい」
今の言葉には何か呪詛でも込められていたのだろうか、金縛りにあったかのように背筋を伸ばして軍人張りの直立する。
「私が言いたい事はただ一つです。本当はもっとあるのですがそれは夕食の時にでも取っておきましょう」
「…………」
「『おかえりなさい』、兄さん」
「………………………………ただいま、秋葉」
俺の言葉を聞き終えると秋葉は表面上は(まさに表現通りに)満面の笑みを浮かべてくるりと踵を返して
何事も無かったかのように髪の色を戻してスタスタと自分の部屋へと戻っていった。
「……ふぅ」
死ぬかと思った。
でも、今日の晩飯はいつも以上に食べづらくなりそうだなぁ…………。
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